La vie

 


11月16日、愛犬が亡くなった。

先日10月22日に15歳を迎えたばかりだった。

雲ひとつない、爽やかな日だった。

陽差しが温かだった。

空が高くて昼間でも大きな月が見える日だった。

 

3匹いる中の真ん中で長女。
家の人が、上の子との子供を産ませたいというエゴから連れて来られた子だった。性格の不一致でそれは数ヶ月後に見事に散る。

私と同じ22日生まれ。私の元に来たのは縁があったのだと思った。

性格はザ・女の子。歩けば鈴の音が鳴りそうな、朗らかにスキップしてるかのように歩く子だった。片手で持ち上げても全然重くない、かなり小さな子だった。

それが豹変する時があり、パペットを使って耳を食べるフリすればすごい勢いで歯を剥き出して唸りながら噛みついてくる猛獣にもなる。「女ってコワイ」が犬にもあるんだと勉強になった。

下の子が来てからは上下男に挟まれながら「男って本当バカ〜」って感じのスタンスで誰かが悪い事すると怒るし、ご飯待てない子にはそれはものすごい勢いで怒るし、人間の代わりに躾をしてくれるとてもとてもいい子だった。

まだ免疫もそこまで付いてない時期に家の人が海に連れて行き、予防接種が終わっていたもののバルボウィルスに感染し入院し、シニアの年齢に達する頃には子宮に水が溜まってしまい、手術で摘出するのに全身麻酔をしたりと、幾つも生死を彷徨っていたけどそれらの回復の度に元気な姿を見せてくれる子だった。

女なので弱ったフリもする子だった。怒られるとブルブル震える。呆れるくらいあざとかった。


夕飯は私と母と真ん中の子と下の子の4人で摂っていたけど、ある時から更年期がはじまったのか下の子に当たりが強くなってしまい、下の子はメンタルもお腹も弱い子なので、基本的にリビングで過ごしてもらうようになった。徐々に加齢で足腰も弱くなってきたのと、小さい体で階段を登らせるのは可哀想だし危ないので、そこからは1日リビングで過ごしてもらうようになった。


ここ数年は子宮摘出の影響でホルモンバランスが崩れていることと、元々アレルギー肌だったのもあり背中の毛が抜け落ちてしまっていた。採血結果も芳しくなかった。その後、去年からずっと苦しそうに咳をしていたけど体を温めると治るので、医師とも相談の上で処方はなく過ごしていた。その咳が落ち着いていた矢先に夜泣きが始まった。亡くなる約2週間前の事だった。人の気配がすると鳴き止むものの、日に日にエスカレートしていった。水も飲みにくそうにしていた。高さのあるボウルを、犬が見やすい色にしようとか色々考えながら買ったけれど結局使う事はなかった。

その1週間後、上の子のご飯を自分のテリトリーの周りに置いたり体の下に敷いて大事にしていた。この時もずっと鳴いていた。あぁ、本格的な認知症だなと思った。

その3日後には身体を開いたまま伏せの状態で寝ていて、立たせても立たないし、横にすらならない状態だった。元々ものすごーーーく身体が柔らかい子だったのでこれが楽ならばと思った。産まれたばかりのウミガメかよ、ばりに首はすごく動いていた。その体力があるならもう少し一緒に過ごせるかなと思っていた。

その次の日、本格的に寝たきりになりご飯も食べられなくなっていた。母が病院に連れて行き、採血と点滴をしてもらった。その夜は調子が良さそうだったが、次の日には体温が低くなっていた。その次の日には本格的な介護がはじまった。食事と水はシリンジで与えていた。体温をあげる為に何枚もの新調したブランケットを掛けてカイロも使った。その夜、上の子が側で寝ていた。「ブランケット温かいもんね〜」なんて考えていた。

今思えば悟っていたのかもしれない。その時の上の子は男の顔をしていた気がする。守って寄り添っているかのようだった。

母が様子を見てくれるというので、下の子は私と寝ていた。今思えばこれもいつもと様子が違っていて、部屋暗くするまでは私の部屋で寝ないアピールしてくるし、夜中にはお気に入りのおもちゃがないとかで起こされる事もあるし、朝はアラームが鳴れば起こしてくるしドア開けろアピールをしてくる。でもそれらが全くなく大人しく寝ていた。「寒くなってきたから寝てくれるのか〜おふとんあったかいな〜」としか思ってなかった。


母の話だと5時過ぎにはまだ息があったそうだ。私は呑気なもので下の子とゆっくり眠れて気分がよかったし、リビングには行かないので朝は会わずに職場に向かっていた。

私が家を出た頃に息を引き取った、というか母が気付いたらしい。家の人は冷たい、息してないと指差すだけだったらしい。本当にさぁ。


私が知ったのは出勤して、制服に着替えて朝ごはんのコンビニのおにぎり食べるぞというタイミングで母から連絡が来た。いつも1番早く出勤してるので誰にも見られず、でもやっぱりこっそりだけど泣いた。

午前中に母が火葬に行ってくれた。覚悟はとっくに決めていたのでずっと前から用意はできていた。何かあった時の為にと私の好きなブランドの真白の箱を用意していたので、そこに使っていたピンクのブランケットを敷いてあげたそうだ。火葬場は母の実家で飼ってた犬もお世話になり、隣のお寺さんにいるのでこの子もここに入ることになると思う。


私が注意して見てあげられてたのは水を飲みにくそうにしたり夜鳴きが始まったタイミングからだった。文面から察していただけると思うが、いろいろあってリビングを避けている毎日なので夜鳴きが始まってからくらいしかリビングに立ち入らずにいた。夜中に周りが寝静まった頃に起きて見に行くくらいしかできなかった。今は本当にそれが悔しいけど私にとっては仕方のない事で、15年一緒に過ごしてきたからきっと下の子はわかってくれてると思ってる。でも後悔してないわけがない。環境が違えばもっともっと一緒にいられて、寂しい思いはさせなかったと思う。


仕事はなんとかできた。でもかなり躁鬱だったと思う。作業してないと自然と涙は出てくるし、電話は声が震えたらどうしようかと思った。

その晩は元々予定していた通話を友人とした。献杯をしてもらった。すごく、すごく温かい言葉をもらって、その通りだったらいいなと思った。私も、今頃は虹の橋を渡って空の上を走って遊んで、これから先の私を見守っててくれたらいいなと心から思った。

その時、平常心でいようと過ごしてた緊張の糸みたいなものが少しだけ解けた。

骨壷カバーに挿すブーケを作った。この前買ったお花をちょうどドライにしていたのと、部屋に飾っていたドライブーケから少し取って、鮮やかなピンクがメインの可愛いブーケになった。


翌日、本当は日中に遺品整理とか写真見返そうと思ってたけど、本能的に避けてしまっているのか、家事だけして終わってしまった。そして夜中にぐしゃぐしゃな顔でこれを書いてる。写真はまだ見返せてない。豹変して歯を剥き出しにしたブサイクな顔だけはめちゃめちゃ思い返して平常心でいようとしてる。


ほとんど介護する手間もなくあの世へ逝ってしまったこと、私が休みの日の前の日にあの世へ逝ってしまったこと。どこまでも人の顔色を見ている、とてもお利口すぎる子だった。


やっぱり写真を見たらどうにかなってしまいそうだけど、これを書く事でやっとちゃんと悲しむ事ができた。感情的になるとすぐ涙が出るので、我慢するのが癖になっているし、なんだか泣かないでと言われてる気がして今の今までずっとずっと泣けなかった。


本当はここに写真を載せて弔いたいけどやっぱり文章にするのが今は限界。そのうち載せます。

まんまるカットも似合えば、ソフトモヒカンも似合う可愛い子だったんだから!


もう大丈夫。って言ったらフツーに本当に嘘だけど、この子が持ってた女度には負けないように生きていかなきゃと思う。

 


たくさん、本当にたくさん幸せをありがとう。

私と一緒に過ごしてくれてありがとう。

犬3匹に囲まれながら遊んだり、寝た時間は本当に貴重だったし、幸せいっぱいだった。

1番お姉さんでいてくれてありがとう。

もう痛かったり辛い思いしなくていいんだからね。

空の上でみんなと楽しく過ごしてね。

可愛い寝顔でたくさん寝てね。

生まれ変わったらきっとまた側にいてね。

 

たくさんありがとう。